日  誌
2009年8月⑩

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 2009年日誌
スケジュール

8月24日(月)
団交
夕食はつけ麺  ふりかけご飯
枝豆
冷奴 餃子などの残り物
今夜のソウル・ワーカーズ・屋台
その前に、例によって、「ひと目で分かる・一枚で終わる」 独善的・手抜き解説の読み合わせ。駿河さん、スイマセン。
  労働者の〈階級的団結〉はいかにして形成されるか 関東・元教育労働者 駿河
人間の根源的共同性に根ざした類に生きる力
 6・14集会で法大文化連盟の洞口朋子さんは次のように発言した。
 「全員が完全黙秘・非転向で団結を固め暴処法弾圧との闘いの第一ラウンドに完全勝利しました」「私たちは仲間を絶対に裏切っちゃいけない。それが法大闘争の核心です。戦争を止め、この社会を根本的に変革する道は、資本家と徹底的に闘い、奪われてきた団結を取り戻していく闘いの中にこそあります」(2396号)

 動労千葉と革共同が血と汗を流して闘いとってきた階級的労働運動路線が若き青年たちをとらえ、力強く根づいて発展していると確信することができる。彼らは、動労千葉労働運動とその階級的団結論に徹底的に学んで闘ってきたのだ。
 本稿では階級的団結論について考えてみたい。
階級的団結は、労働者階級が資本家階級を打倒してプロレタリア革命に勝利するための唯一無二の武器である。しかし、それは体制内指導部によって踏みにじられ、ないがしろにされてきた。今こそわれわれは、マルクス主義の原理である階級的団結論を復権しなければならない
 階級的団結の力をもってすれば、いかなる試練も困難ものりこえられる。それは人間の根源的な共同性に根ざしているがゆえに、死の恐怖さえのりこえることのできる力である。個に死して類に生きる力である。

 階級的団結を質的に深化し、量的に拡大していけば、その先にプロレタリア革命がある。ブルジョアジーはこのことを本能的に知っているからこそ、労働者の団結を恐れ、それを破壊するために手段を選ばず攻撃してくるのだ。
では、労働者の階級的団結はいかにして形成されるか
① 「階級的団結論」と「絶対反対論」と不可分一体である
 階級的団結は、職場生産点において、資本と国家権力に対して日常的に非和解的に闘い抜くことをとおして形成される。
「賃金制度を撤廃せよ」――資本・権力に対する根源的な批判と怒り、これが絶対反対論である。したがって絶対反対論」は、資本主義・帝国主義打倒をめざす革命の論理なのである。

 体制内指導部は、民営化攻撃と闘っても勝てるはずがないと屈服し、労働者を敵の攻撃の前に武装解除させ、敵に売り渡そうとしている。
より良き民営化などない。これでは労働者の団結は破壊される。民営化は絶対反対あるのみだ。
体制内指導部を打倒し、労働者の階級的団結を取り戻そう
② 労働組合が基礎的団結形態である 第二に、労働者階級の階級的団結は、労働組合の闘いをとおして形成される。

・労働組合のないところでは労働組合を建設しよう。
・既成の労働組合の大半は民同やスターリン主義者に支配されている。体制内指導部を打倒して、闘う労働組合をよみがえらせよう。そのためには、労働組合の権力を取ることを目指して目的意識的に闘わねばならない。

 労働者階級の究極的団結が革命だとすれば、それは、労働組合の階級的団結の強化と発展によってかちとられる。労働組合はソビエトの萌芽形態であり、プロレタリア独裁の樹立に向けて、階級的団結を拡大するためにある。とりわけ4大産別の労働組合の階級的団結を強化することが、プロレタリア革命勝利に向かっての最重要な課題である。
③ 階級の指導部の世界観と路線と労働者観が鍵
 第三に、階級的団結を形成する闘いは、革命的指導部(党)の建設なしにはありえない
労働者は活動家(指導部)を中心に団結する。
活動家になるとは、階級の指導部になっていくということである。
 また、労働者階級の団結の力と質は、指導部の世界観=時代認識と路線、労働者観によって決まる。動労千葉の労働者は、「連合の団結がスポンジだとすれば、動労千葉の団結は鉄の塊だ」と言っている。鉄の塊のように強い団結は、中野さんの思想とその路線によってつくられたものである。
★中野さんの労働者観は、
「労働者は必ず決起する」という信念と、労働者の持つ戦闘性、革命性に徹底的に依拠して闘うという立場に示されている。
労働者階級の解放は労働者自身の事業であるということだ。この思想はマルクス主義の核心であるが、中野さん自身、労働者はすべからくマルクス主義者にならねばならぬと言っている。

 マル青労同5回大会報告の中で、以下のような総括文があった。「2人の同志に共通するのは……『隣の仲間』を徹底的にオルグしている。労働者の怒りに依拠して、階級的に怒りをあおって、職場の労働者を闘いの渦中に置いている。そうした時、職場の青年たちが階級的に急速に自己変革する。そして、この闘いの中で自分自身も自己変革したということだ」(『ソリダリティ』5号、6㌻)

 そうなのだ。隣の仲間と団結するとは、ただ仲良くなることではない。肝心なのは、「仲間を闘いの渦中に置く」ということだ。ともに闘うことで仲間が変わり、自分も変わる。指導部自身も自己変革しなければならない。

 指導部が絶対に正しくて、労働者はそれに無条件に従えばよいのだ、という態度は、これはマルクス主義ではない。
 動労千葉元副委員長の水野正美さんは、「中野前委員長は、けっして上から命令するような人ではなかった」「中野前委員長は、動労千葉の労働者たちによって最高の指導者に育てられた」と証言している。

 私はここに「党は階級そのものである」「党と労働組合は限りなく一体のものである」という、革命的共産主義運動と動労千葉が到達した歴史的地平を見る。一人ひとりの労働者の中に革命のヒドラが宿っているという確信をもち、労働者から徹底的に学び、その戦闘性と革命性を引き出そうとする努力。指導部と組合員、組合員相互、指導部相互の強固な団結と信頼関係の形成の闘い。動労千葉の階級的団結はこのようにして形成されたのだ。

 動労千葉は義理人情に厚いと言われるが、水野さんが「動労千葉の真の強さは、路線の正義性にある」と言っているように、「義理人情に厚い」「仲間を大切にする」というのは、正しい時代認識と路線で闘う中で形成された階級的団結の別の表現にほかならない。
④ 一人の解雇も許さない原則
 第四に、「一人は万人のために、万人は一人のために」「一人の首切りも許さない」という原則を貫いて闘うことが重要である。
 この問題を考える上で、やはり、動労千葉の船橋事故闘争に触れないわけにはいかない。1972年3月の船橋事故で、動労千葉の高石正博運転士が逮捕され起訴された。

 これに対して動労千葉は、一人の組合員を守るために全組合員が処分を覚悟して立ち上がった
 この闘いをとおして、動労千葉は反合・運転保安闘争路線を確立…動労千葉の階級的労働運動の原点となっている。階級的団結は徹底的に労働者の立場に立って闘うことから形成されるのである。
⑤ 労働者の階級的団結の強化・拡大を総括軸にして闘う
 職場・生産点における資本とのゲリラ戦では、労働者は負けることの方が圧倒的に多い。政治闘争においても、現在的に彼我の力関係から、たとえばソマリア沖への自衛隊の派兵を阻止することはできていない。しかし、こうした闘いをとおして、      
 仲間が一人増えたとか、
 ともに闘った労働者の階級意識が形成されたとか、
 自己変革がかちとられたとなれば、圧倒的に勝利
したのである。
あらゆる闘いは、階級的団結を形成するために闘うのだと言っても過言ではない
⑥ 労働者階級自己解放と諸階級・諸階層の解放
 第六に、階級的労働運動路線と「07年7月テーゼ」は完全に一体のものである。(略)
⑦ 第七に、労働者階級への階級移行の問題である。
 労働者階級が革命の主体であるというとき、私も含めて党の常任、個人商店主、学習塾の経営者、小説家、画家、音楽家などの芸術家、農民、漁民、その他、直接には賃金労働者として職場・生産点に身を置いていない者は革命的たりえないのだろうか? そんなことはない。

 「労働者階級以外の諸階級、諸階層の人民は、労働者階級の解放のなかに自らの究極的解放があることを直視し、労働者階級の立場に自らを立たせ、労働者階級と一体となって闘うこと(階級移行するということ)によってプロレタリア革命の一翼を形成するものとなっていくのである」(07年7月テーゼ)
 この階級移行のための闘いは、労働者階級とともに闘うことでしかなしえない。
労働者階級との階級的団結を命がけで形成することである。
⑧ インターナショナルな本質
 第八に、労働者の階級的団結は本質的には国境を越えたインターナショナルなものである。労働者階級の存在は世界的なものであり、帝国主義もまた世界的なものである以上、プロレタリア革命は一国では完結せず、世界革命としてしか勝利できないものである。
 時代認識をゴリゴリと確認することから、動労千葉の労働者は、自己の産別の課題だけでなく、日本の全労働者、世界の労働者階級の利益のために闘ってきた。三里塚闘争に連帯してジェット燃料貨車輸送阻止のストライキを闘った。戦後政治の大転換攻撃であった国鉄分割・民営化攻撃に対し、権力の集中砲火を浴びながらストライキで闘って団結を守った。また、動労千葉は02年3月にイラク戦争開戦に断固反対し、72時間のストライキを打ちぬいた。

 これらの闘いは直接的には動労千葉の個々の労働者にとって一銭にもならない闘いである。しかし、全日本と世界の労働者の利益を守る闘いであった。だからこそアメリカのILWU(国際港湾倉庫労組)や韓国の民主労総をはじめ、世界の最も戦闘的な労働組合が注目し、高く評価し、動労千葉の闘いから根底的に学ぼうとしているのである。ひとつの職場における闘いが職場を超えて、やがては世界の労働者にもつながっていく。教育労働者、根津公子さんの「日の丸・君が代」反対の不起立闘争は、アメリカの闘う教育労働者につながっているではないか。世界大恐慌=革命情勢の到来にあって、今こそ世界の労働者階級の団結が死活的に求められている。
⑨ 体制内指導部との党派闘争
 第九に、階級的団結を形成する上で、体制内党派との党派闘争を推進することが決定的に重要である。
革命勢力と体制内勢力との間に中間の道はなく、非和解的な敵対関係になったのである。
体制内指導部を打倒し、そのもとにいる膨大な労働者の中に分岐をつくり出し獲得しなければならない。(略)
⑩ 大恐慌と革命的情勢は国際的団結拡大の好機
 現代の青年労働者・学生は、戦後民主主義の恩恵にあずかっておらず、資本主義に何の幻想も期待もしていない。新自由主義は2千万人のワーキングプア、非正規労働者を生み出した。労働者は資本主義を倒さなければ生きていけなくなっている。また、新自由主義は人間の本質である労働とその共同性を極限にまで奪いつくしたため、労働者は、資本に対する怒りとともに、階級的団結を渇望している。

 だからこそ、「団結」という二文字が、青年労働者・学生が生き、闘っていく上で、欠くことのできない死活的問題となっているのだ。そうした中で、動労千葉と革共同の思想と路線が青年労働者、学生をとらえる情勢がますます煮詰まっている。

 また、ブルジョアジーは金もうけのために巨大な交通手段とインターネットなどの通信手段をつくり出した。ブルジョアジーは自らに向かってくる武器と、それを使う墓掘り人=労働者を生み出したのである。労働者階級はこれらを十分に使わせてもらって、労働者の階級的団結を世界的規模でつくり出すことがより一層、容易になったのである。
⑪ 最後に階級的団結論の結論は、革命的労働者党の建設と党の団結
ブントから革共同に結集した陶山同志は、「われわれが60年安保の総括をとおして『党』の形成を執拗に追求してきたのは、いざという時にものを言うのは結局、『党』の力だからである」と言っている。(略)

 戦争か革命かが問われる今日の時代に、インターナショナルな党の建設が焦眉(しょうび)の課題となっている。世界大恐慌をプロレタリア革命の勝利に転化するために断固、この課題をなし遂げよう。11月労働者集会1万人決起のために、全力で闘おう。
そこに、孤独に耐え切れなくなった、「街」の居候・ブーちゃん、ソウル・ワーカーズ・屋台に初登場
11月労働者集会、絶対に爆発

させるぞ!

8月23日(日)
夕食は、動労千葉物販のそば トロロ 鶏肉のシソ・バターソース
青森の一戸さんの作ったナス 一戸さんの野菜でイタリアン・トマト 青森のフキの缶詰

 だ  ん   け  つ
2009年8月23日
№192
福祉労働者連帯ユニオン 「街」分会
関町北4-2-11
国労共闘が 1047名闘争の
責任勢力として
国労大会に登場
 国労共闘と静岡労組交流センター、神奈川労組交流センターは、8月21、22日に行われた国労第77回全国大会(静岡県伊東市)をめぐる攻防を勝利的に貫徹した。自民党支配が崩壊し、その自民党に「不採用問題の政治解決」を哀願する4者4団体路線の破産は明白になった。これに対し、国労共闘や労組交流センターは、1047名解雇撤回、国鉄分割・民営化絶対反対の旗を高々と掲げ、国鉄1047名に責任をとる勢力として鮮やかに登場した。大会攻防は、動労水戸の第2波拠点ストと連帯してかちとられ、11・1労働者集会1万人結集に向けての跳躍台を築くものとなった。

 大会前日の20日、国労共闘と静岡労組交流センター、神奈川労組交流センターは、全学連の学生とともに伊東駅前を制圧、大会宿舎に向かう代議員らに、「1047名解雇撤回・破産した4者4団体路線と決別せよ」と訴えるビラをまんべんなく手渡した。同時に、法大学生運動への暴処法弾圧に抗議する署名活動が取り組まれ、大会に参加する国労組合員や伊東市民の署名が多数寄せられた。

 大会初日の21日には大会会場のホテル聚楽前に登場。会場内外に入り込み弾圧の機会をうかがう公安警察の妨害を打ち破って、大会参加者へのビラまきを貫徹した。国労本部や4者4団体路線の先頭に立ってきた闘争団一部幹部は、展望を失って意気消沈し、これまでのように国労共闘のビラまきに食ってかかることもできない。1047名解雇撤回の原則を貫けという訴えの圧倒的正義の前に、彼らは沈黙するほかになくなっている。ホテル前から宣伝カーが、「解雇撤回の原則を投げ捨てた国労本部打倒」という怒りの声を大会議場にたたきつけた。

 朝のビラまき行動を終えた参加者は、伊東駅前に移動し、11・1労働者集会への結集を訴える街頭宣伝に取り組んだ。午後には、伊東市内で国労共闘、静岡労組交流センター、神奈川労組交流センターの共催で「国鉄闘争総決起集会」を開催、闘う国労組合員や静岡、神奈川の闘う労働者60人が結集した。国労秋田闘争団の小玉忠憲さんや国労小倉地区闘争団で5・27臨大闘争弾圧被告の羽廣憲さんら闘争団員が、あくまで解雇撤回を貫くという不屈の決意を表明し、JRで働く国労組合員らが、青年労働者の怒りと結合しJR体制を打倒すると宣言した。静岡、神奈川の労組交流センターの労働者は、地区を挙げて国鉄闘争に突入すると述べ、参加者はこの日の闘いを起点に11・1労働者集会1万人結集に向けて全力で闘うことを誓い合った。

 大会2日目も、大会会場前でのビラまき行動を貫徹。警察に守られ、資本への怒りのかけらもない国労大会を弾劾し、JR資本との対決を訴えて、国労本部ら4者4団体派を圧倒しきった。政治解決路線が破産する中で、4者4団体はますます展望を失っている。大会で通された運動方針は、ただ「組織外のからのさまざまな妨害や介入に対決せよ」と叫び立てているだけのものだ。国労共闘など動労千葉派の闘いだけが国鉄闘争を勝利させることができる。大会攻防は、このことを鮮明にしきった。(K)

動労千葉 スト予告通知

幕張車両センターでの動労千葉排除攻撃粉砕

ローマ 民営化リストラに反対し コロシアム占拠

【ローマ共同】ローマを代表する観光名所のコロシアムに、警備会社のリストラ計画に抗議する労働者が14日から立てこもっていた事件で、労働者はアレマノ・ローマ市長らの説得を受け、立てこもりから5日目の18日夜、コロシアムを自主的に退去した。ANSA通信などが伝えた。

 労働者は当初7人だったが、1人は体調不良を訴え同日朝、病院に運ばれていた。最後まで残った6人は退去後、病院で検査を受けてから、警察の取り調べを受けるとみられる。

 ローマ市はクトルフォ副市長がコロシアムに出向いたほか、市長が携帯電話で「会社側に計画を再検討させる」などと説得した。

 警備会社は民営化に伴い職員のリストラ計画を進めていたが、7人は自ら「剣闘士」と名乗り、地上約50メートルから抗議の横断幕を掲げ、計画撤回まで立てこもりを続けると主張した。

 コロシアムは古代ローマ時代に建造された円形闘技場で、闘技で多くの剣闘士が命を落としたことで有名。同通信によると、毎年約400万人の観光客が訪れる。

2009/08/19 09:01 共同通信

国労共闘が1047名闘争の責任勢力として国労大会に登場
「ふたたび団結しましょう!」
房州鉄道研究会のブログから転載
画像
双龍自動車支部ハンサンギュン支部長獄中書簡 「ふたたび団結しましょう!」民主労総機関紙「労働と世界」2009年8月20日付
殺人的な整理解雇に対し工場占拠ストで現場を死守した双龍自動車の労働者たち。8月6日、労使大妥協を実現し77日間のストを解除した。しかし会社側は交渉合意の内容を履行せず、労組を抹殺することに血眼になっている。スト闘争直後、双龍自動車支部の幹部と組合員67名が拘束され、捜査当局は引き続き組合員を呼び出し、調査を行っている状況だ。今も続いている双龍自動車闘争を獄中から見守っている双龍自動車支部のハンサンギュン支部長の書簡全文を掲載する。ハン支部長は、ともに闘った組合員と双龍自動車の家族全員に無念さを表明し、ふたたび団結することを注文している。(編集部)
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 黙々と現場を守り、言われるままにひたすら懸命に働いてきた組合員たち…。
 彼らが、解雇するな! 解雇は殺人だ!と怒り開始した「双龍自動車77日闘争」。その過程で経なければならなかった、この世のいかなる言葉でも表現しえない闘いの傷…

 そもそもの間違いは、海外売却を誤って推進した政府にあります。また、上海自動車は産業銀行と結んだ特別協定を破棄し、双龍自動車の独自開発能力を無差別に強奪しました。そしてこの国の政府と国民に語った1兆2千億ウォンの投資約束を守りませんでした。
 4年間、新車ひとつなく生存してきた双龍自動車!
 上海自動車は、食い逃げ資本の卑劣なやり方をそのまま踏襲し、双龍自動車の労働者と国民をたぶらかし、みずから法定管理を申請したあと、去ってしまいました。

 われわれ双龍自動車支部は、会社が厳しいことをよくわかっていました。だから危機をともに克服しようと、ともに生きようと叫びました。さらに、代案を提示し、国民と政府にも訴えました。

 会社側は、根拠もなく、理屈にも合わないサムスンKPMGとサミル会計法人の双龍自動車再建策を、唯一の解決策であるかのように押しつけるだけでした。おそらく彼らが整理解雇以上の他の代案すら提示せず、われわれの提案を無視したのは、はじめから売却だけを念頭に置いていたからでしょう。

 彼らは、賃金労働者にとって命のような雇用を、差し出せと言いました。2646名にとっては、むしろ死ねということに他なりませんでした。だから全組合員が全面ストを決意し、死を覚悟した闘いを開始しました。

 会社側は希望退職を強要し、生き残った者に、スト隊列から離脱するようそそのかしました。それでも最後の名簿が発送されるまでは、一緒に生きようと決意した同志たちでした。

 結局、整理解雇名簿は、黙々と働いてきた労働者を、弱い労働者と、死ぬ気で闘うという決意を引き継ぐ戦士たちとに分断してしまいました。400から600、800,1300へと増えていったスト隊列は、患者の離脱、懐柔脅迫、放棄、恐れ、連行などによって減り続けました。

 しかし、決死抗戦を決意した決死隊の組合員たちは、指導部の信念を確認するまで、いかなる襲撃があろうとも現場を死守し、整理解雇を撤回させると何度も誓い合いました。自らストの道具を作り、戦術を編みだし、一日2~3時間の睡眠と、数十回に及ぶ強烈な催涙液の乱射などの弾圧に耐え抜きました。

 支部長である私自身も、解雇は殺人だと怒った我が組合員たちが、こんなにも闘えるなど想像もできませんでした。最後まで工場を死守しぬいた同志たちは、闘士ではなく英雄でした。77闘争の戦士でした。

 公権力の殺人的な鎮圧作戦、野蛮で非人道的な副食、電気、水道、ガス、医療の遮断によって限界点はありました。最後まで抗戦できなかった責任は痛感します。生きようと始めた闘いが、鎮圧作戦にともなう事故により惨事に結びつくことを望みませんでした。生産施設が全焼することを望みませんでした。だから大妥協という選択をしました。

 今も夢遊病患者のように、寝たと思ったらガバッと起きることが続いています。ヘリコプターの音、戦闘警察らの怒号、会社側の宣撫放送が耳元から消えません。若い身で先に天の国へと逝った6名の魂が脳裏から、胸の中から消えません。

 「支部長、動揺しないでください。組合員を信じてください」という同志たちの絶叫が離れません。
 病床で呻吟している同志たちよ!
 拘束され、絶望し、嘆いている同志たちよ!
 生き残っても労働者の言語を発せられず、胸をいためはじめた同志たちよ!
 管理者による参加強要とチェックにより、やむなく救社隊に参加したものの、胸中いまだ労働者の血がたぎっている同志たちよ!
 希望退職によって現場を離れたものの、絶望的な選択だったことを早くも確認し、辛い思いをしているであろう同志たちよ!
 全てが、この国で生きてゆくすべての労働者の痛みでもあります。

 うまくいっているときは卓越した経営能力のおかげだと言い、危機が近づけば全責任を労働者がかぶらなければならない世の中! 壮絶な双龍自動車77闘争を終え、いまもわれわれすべての労働者に与えられた宿題は、まさに団結、また団結の道だけです。
 団結しようという私の訴えが、空虚な叫びでないことを願います。双龍自動車支部長のささやかな願いでこの要求を提出します。
 この間、ともに闘ってくださった南の地のすべての労働者に熱い同志愛を伝え、連帯の精神で今後も常にともにあるという誓いと約束を、双龍自動車全労働者の名でささげます。

ハンサンギュン

8月22日(土)
今日の石神井川。拡幅工事の必要性がない日々が続いてます
昼食は冷し中華 三里塚のジャガイモと、圧力鍋を買って
くれた人から差入れ
変なレシーバーでみんな遊びま~す
ナンなんですか、これ~っ?
この2人は毛が増えたみたい
動労水戸ストライキ支援、お土産 夕食はウナ丼。中国産で安~い 三里塚のモロヘイヤ
青森の一戸さんが作った米ナス風ナス
を田楽に
ピーマン料理 若山さん作のキュウリをごま油に漬け
三里塚のミニ・トマト 沖縄のモズク汁 今夜のソウル・ワーカーズ・屋台
動労水戸のビデオを見る 茶月さんから差入れのすし
8/21 動労水戸ストライキに決起
動労千葉を支援する会のホームページから転載
動労千葉 スト予告通知

幕張車両センターでの動労千葉排除攻撃粉砕

 だ  ん   け  つ
2009年8月21日
№191
福祉労働者連帯ユニオン 「街」分会
関町北4-2-11
動労水戸、組織破壊攻撃に
全組合員がスト
 動労水戸は8月21日正午から半日間(泊まり勤務者は終了時まで)、休日以外の全組合員がストライキに立ち上がった。

 JR東日本資本は、運転士登用差別問題をめぐって昨年12月に出された最高裁での組合側完全勝利判決をまったく履行しないどころか、一切の謝罪を拒否し、あろうことか最高裁判決を逆手にとって強制配転などの組織破壊攻撃を加え続けている。

 絶対に許せない! 動労水戸の組合員は、腹の底からの怒りを爆発させて立ち上がった。7月23日の緊急ストに続いてこの日、強制配転と組織破壊攻撃を粉砕するために満を持して全組合員のストを打ち抜いたのだ。


 この日の闘いには、組合員の家族、地元の茨城県内の労組を始め、関東全域から多くの労働者が支援に駆けつけた。全学連も、坂野陽平・委員長代行を先頭にやってきた。総勢百人をはるかにこえる大行動となった。午後2時半からJR水戸支社(水戸市)への大抗議闘争を貫徹し、強制配転攻撃の焦点となっている勝田車両センター(ひたちなか市)に移動。集会の監視・妨害に出てきた管理者どもを徹底的に弾劾するとともに、車両センターで働く仲間たちに渾身(こんしん)のアピールを行った。

 石井委員長は「当局は、とうてい通勤不可能な職場への配転を命じ、それが嫌だったら『運転士にはなりません、という一筆書け』とまで言ってきている。どうしてこんなことが許せるか! なぜここまで、動労水戸組合員を運転士にしたがらないのか? われわれの闘いが職場に広がることを死ぬほど恐れているからだ。
    
 職場にはいま、怒り が満ちあふれている。7月に一人、8月にさらに一人の仲間が動労水戸に結集してくれた。勇気百倍だ。センターで働く仲間のみなさん! 労働者の力は小さくない! ともに闘おう」と心からの訴えを行った。

 圧巻は、強制配転攻撃を受けている当該組合員の発言だった。「俺たちは23年前から『過激派だ』『あいつらとはつきあうな』とさんざん攻撃されてきた。しかし今日の集会を見て欲しい。6人の強制配転の問題に全組合員が立ち上がり、全国から支援の仲間が来てくれた。われわれは絶対に負けない。23年前、俺たちは親組合のオヤジどもにさんざん裏切られたが、俺たちは絶対に君たちを裏切らない。若いみんなの未来を、ともに切り開く。動労水戸に結集し、ともに闘おう」。腹のそこからの怒り、そして心からの連帯の呼びかける訴えが車両センター全体に響き渡った。

 動労千葉、「日の丸・君が代」被解雇者の米山良江さん、ス労自主の中村和憲さん、全学連委員長代行の坂野陽平君が次々とマイクをとって連帯アピールを行った。坂野君は「とりわけ平成採の青年労働者のみなさん! あなたが職場や社会に感じている怒りは、あなた一人のものじゃない。団結して闘いましょう。一緒に、1万人の労働者を集め、革命をやりましょう!」と呼びかけた。

 最後に発言に立った動労水戸の辻川慎一副委員長は「われわれは国鉄分割・民営化以来、ありとあらゆる不当労働行為の攻撃をうち破って団結を守り抜いてきた。労働者は団結すれば勝てるということを実証してきたのが動労千葉であり動労水戸なんだ。JR資本は、なぜ最高裁決定にすら従わないのか。動労水戸が勝利したなんてことは、絶対に認められないからだ。これはすべての労働者への挑戦であり、われわれの闘いに労働者全体の未来、労働者の団結の問題がかかっている。一つひとつの職場の闘いを全力で闘いつつ、全国の労働者の力を一つの団結した集団として登場させることが今こそ問われている。動労水戸こそ、11月労働者集会1万人結集の基軸を担って闘おう」と組合員に訴えた。
 この日の闘いは、国鉄1047名闘争勝利―JR体制打倒にむけた新たな戦闘宣言であり、11月総決起にむけた熱烈な檄だ。激しく闘う動労水戸に続け! 職場生産点からうなりを上げた闘いを爆発させよう。(O)
  
東北石けん闘争全一日行動、地労委審問開始決定勝ち取る
 8月20日、東北石けん労働組合は、朝から愛島台門前闘争、午後には地労委闘争と全1日行動で画期的な地平を切り開いた。地労委ではついに審問の開始決定を勝ち取った。決定的な勝利だ。解雇撤回・原職奪還に向けて闘いは新たな段階へ突入した。

 朝8時、名取市愛島台の新工場門前には20名の仲間が年休を取って登場。ブラインドを下ろして恐怖に震える会社を圧倒して、ごうごうたる弾劾の嵐が叩きつけられた。「解雇を直ちに撤回しろ!」「門前実力闘争で勝利するぞ!」「地労委で佐藤・畑を打倒するぞ!」「すべての不当労働行為を暴き尽くすぞ!」怒りのシュプレヒコール。参加者は次々と悪徳資本を弾劾し、勝利するまで闘い抜く、東北石けん闘争をさらに強化していくと発言した。

 圧巻は、当該・成田副委員長の決意表明。「会社は、釜出し一番石けんをエキナカで1000円もの値段をつけて売っている。ふざけるんじゃねえ!労働者は群れてなんぼだ。われわれは軍隊アリのように群れて団結して、団結できない資本をぶっ倒す!新工場で働くみなさん、私たちはあなたたちを奴隷として毎日毎日搾取し、ぼろ儲けを行っている悪の元凶、佐藤吉範・畑文雄の息の根を止めるべく地労委で徹底的に弾劾し、追及し、釜茹でにしていきます。職場復帰を果たし、資本主義を終わらせるまで革命勝利の最後まで闘い抜く!万国のプロレタリア、団結せよ!」

 愛島台新工場門前闘争は、終始戦闘的に貫徹された。
 午後から舞台を地方労働委員会に移して、地労委第4回調査が行われた。30人を超える当該、支援が怒りを込めて審問廷を制圧した。事態は既に鮮明だ。審問の開始以外にあり得ない!当該は、畑惣商店が解雇や一連の不当労働行為の当事者そのものであり、労働組合員の雇用に責任を負っていることを突きつけた。そしてついに労働委員会は審問の開始を決定した。重大な勝利だ。われわれは、審問の中で、佐藤・畑の行った不当労働行為を全面的に暴き出し、解雇の撤回・原職奪還を勝ち取っていく! 地労委の審問日程が提示され、地労委闘争は決定的な攻防戦に突入した。東北石けん労働組合は、門前実力闘争を基軸にして、あらゆる闘いで資本を追い詰め、解雇撤回まで闘い抜く!

 またこの日の闘いは、先日急逝した全金本山労組の熊谷春男さんの遺志を受け継ぐものとして闘い抜かれた。熊谷さんの遺影が終日闘いの先頭で参加者を鼓舞し、勝利を牽引したのだ。熊谷さんは、本山闘争の被解雇者当該として本山闘争を先頭で闘い抜いて職場復帰を勝ち取った。そして、解雇撤回を投げ捨てて屈服に走る4者4団体の路線に心底から怒り、「私は最高裁で負けても、職間実力闘争で解雇撤回・原職奪還を勝ち取った」と不屈に解雇撤回闘争を闘い抜くことを呼びかけていた。また、東北石けん闘争には欠かさず参加し、先頭で闘ってきた。「東北石けん労働組合の準組合員になりたい」と言ってくれた熊谷さんは、門前で当該をもこえるような怒りに燃えて闘い、吠え続けた。熊谷さん、あえて私たちはこう呼びたい。「熊谷同志、あなたの遺志を引き継いで、東北石けん闘争に必ず勝利します。いつも戦列とともにいて、勝利の日まで励まし続けて下さい。」

8月21日(金)
水戸に行ってきます 青森の一戸さんから差入れ
青年部が店を開けます
時計屋・ハイジ開店です

珍しく値付けをしています
サブロウの寄付です
金曜、恒例の「前進」読み合わせ 青年部長が解説しています 集中してます
サブローも真剣です
しっかし、わかんねえな~ぁ
つぼみが何個かできました
今日の石神井川 川の途中にこんな店がありました
差し入れのジャガイモ煮 ソウル・ワーカーズ・屋台の青年部だけで

8月20日(木)
久々に関町の寅さん師匠の登場
カンピョウのライブ切り
 日本酒の差入れ
夕食は刺身。イナダ・アジ カツオ
飯田寿司さんが、カンピョウとベーコン

炒めを差し入れ

 だ  ん   け  つ
2009年8月20日
№190
福祉労働者連帯ユニオン 「街」分会
関町北4-2-11
と固く誓う サンフランシスコ国際会議が大成功
(写真 ゼネスト75周年を記念し波止場をデモする各国訪米団【7月5日】)

社会主義をめざす労働運動の胎動

 動労千葉の訪米報告から 
大恐慌と闘う国際連帯が前進
 09年7月初め、サンフランシスコで「ゼネスト75周年・国際労働者会議」が開催された。この会議のきっかけは、08年11月労働者集会と09年3月の動労千葉30周年記念レセプションでの議論だった。動労千葉と米ILWU(国際港湾倉庫労組)ローカル10、そして韓国・民主労総ソウル本部との間で、「大恐慌が世界をおおう今、労働者と労働組合はいかに闘うべきか」をめぐって真剣な議論が行われた。誰もが労働者の国際的団結と戦闘的労働組合の世界的な新潮流を切望した。そのようななかで、アメリカの仲間から、歴史的な34年ゼネストから75周年を迎えるサンフランシスコでの会議開催が呼びかけられた。動労千葉はそこに十数人の大代表団を送り、画期的な成功をおさめたのである。そして、『世界に翔びたとう10 サンフランシスコ国際労働者会議 動労千葉の訪米報告』(写真)を発行した。訪米闘争の様子が実に生き生きと伝わってくるパンフだ。今回は、このパンフや訪米団内での討論に基づいている。また、同時期に訪米した教育労働者の報告も、同パンフ掲載の米山良江さん(東京教組「君が代」処分被解雇者)によるサンディエゴルポを要約したものである。
7カ国の労組が参加
7月2~7日、動労千葉の田中康宏委員長、君塚正治副委員長、動労千葉国際連帯委員会の山本弘行事務局長をはじめとする動労千葉訪米団は、アメリカ・サンフランシスコを訪問し、同地で開かれた国際労働者会議に参加した。同会議は、ILWUローカル10、同ローカル34、TWSC(運輸労働者連帯委員会)が主催したもので、サンフランシスコゼネスト75周年を記念するレイバーフェスタ(労働者祭)の一環として行われた。その呼びかけ文は次のように言っている。

 「サンフランシスコゼネストの教訓とは、労働者がきちんと学び組織されそして闘いの構えが出来ているならば、資本、警察や政府を打ち負かすことができる団結した力を有しているということだ。恐慌が全世界を巻き込んで進む今日、私たちはこの闘いの教訓を新たにし、世界中の労働者が自らを守り闘い抜く戦略と戦術を獲得していかねばならない。これは権力奪取にかかわる闘争であり、労働者と労働組合は、この経済的・政治的襲撃と対峙するために、私たちの基本的権利を防衛していくべく、その方針と戦略を必要としているのだ。今日の世界恐慌は、世界の労働者階級にその死活を問うものとなっている」

 これは事実上、大恐慌をプロレタリア世界革命に転化すべく各国プロレタリアートは階級的に武装せよと訴えている。実に高い階級的水準だ。

 この呼びかけに応えて、今回の国際会議には全世界から7カ国の戦闘的な左派の労働組合代表・活動家が参加した。アメリカのILWUローカル10、34、日本の動労千葉、韓国の民主労総ソウル本部、トルコの進歩的医療労組、ブラジルの全国闘争連盟(コンルータス)、フィリピンのフィリピン航空地上職労組、イタリアの港湾労組だ。
 今回の訪米では、ビッグストライキ75周年を記念した1200人余りの集会、ゼネストの激戦地になった波止場を通るデモ(5日)を頂点に、争議中のハイアットホテルへのピケ行動(同)、サンフランシスコ・エイト(SF8、40年近くも前の殺人事件容疑でデッチあげ起訴された元ブラックパンサーのメンバー8人)支援闘争としての裁判所前ピケ行動(6日朝)などさまざまな闘争が取り組まれた。それらをはさみながら、毎日毎日かつてなく突っ込んだ討議がなされた。その全過程をとおして、動労千葉の国際連帯活動はこれまでにない画期的な前進をかちとったのである。
動労千葉に各国共感
第一は、動労千葉の国鉄分割・民営化反対の闘いと道州制決戦、法大弾圧との闘い、そして国際連帯の取り組みが世界の階級闘争において中心的な位置を占めていると各国が受け止めたことだ。

 それはやはり、戦争と民営化、労組破壊との闘いが世界の労働者階級にとって共通の焦眉(しょうび)の課題としてあり、それと体を張って真っ向から切り結んでいる動労千葉・日本階級闘争に各国が強く共感したからにほかならない。このことは、後述するように動労千葉提起の決議が今回の国際会議の唯一の合意事項になるという実に貴重な成果を導き出した。
同じ思いをもつ仲間との出会い
第二は、トルコやブラジルなどのように、きわめて困難な状況のなかで必死に社会主義をめざし、闘う労働組合の結集に全力を尽くしている新しい仲間に出会うことができたということだ。

 トルコからは、DISK(ディスク・進歩的組合連盟)という左派のナショナルセンターに加入している進歩的医療労組の書記長が参加した。1970年代に、政府の弾圧に抗して、20万人のストライキで社会主義と革命をめざす運動として飛躍したこと、1980年の軍事クーデターで12年間活動停止となり、1992年に再び活動を再開したこと、政府によるクルド人弾圧問題、民営化・非正規職・失業問題などを真剣に訴えた。

 ブラジル代表は、コンルータスという組織に所属する銀行労組の活動家だ。体制内派のナショナルセンターの支配に抗して、2003年に数百の労組を結集して全国組織をつくりあげたことを報告し、「万国の労働者、団結せよ」と訴えた。
 また、フィリピン代表(フィリピン航空地上職労組委員長)からは、「JR総連が体制内派的な分裂組織に資金援助してフィリピンに民営化を輸出しようとしている」ことが明かされた。「その分裂組織はフィリピン政府から金をもらっている。JR総連はドロボーだ」と。

 アメリカからは「反戦の母」シンディー・シーハンさんが切れ味鋭い発言。「労働組合が民主党支持という政策と手を切り、ランク&ファイルの労働者が立ち上がらないかぎり何も変わらない。問題は階級闘争です。搾取する階級をやっつけよう。いんちきな連中をたたきのめせ!」

 日韓米を基軸に、本格的な労働者国際連帯の新たなスタートラインに立ったのだ。他方、現場とまったく乖離(かいり)した発言が地元アメリカのトロツキスト系の小党派の活動家に目立った。結局、会議日程全体をとおして、「動労千葉が資本と非和解で闘い現場の団結を一切の土台にすえてきたことは、間違っていなかった」「国際的にも普遍的に通用するんだ」と田中委員長ら一行は確信を深めたという。これが第三のポイントである。
動労千葉決議が満場一致で採択
最終日6日には、動労千葉が提起した決議が会議全体の唯一の合意事項になり、満場一致で採択された。決議の内容は、
①国鉄1047名闘争支援(「解雇撤回・原職復帰」)、
②法大での学生弾圧粉砕(「8名の学生の即時釈放」)、
③国際的な共同行動の日として日本の11月労働者集会への結集を各国で呼びかける、の3点だ。

この決議によって、09年11月労働者集会への大々的な国際的結集の扉が広く開け放たれた。
  (続く)
サンフランシスコゼネラルストライキ(ザ・ビッグ・ストライキ)
大恐慌下の1934年2月、ILA(国際港湾労組)の西海岸の支部は、サンフランシスコに集まってランク&ファイル(一般組合員)大会を開き、賃上げ・労働時間の短縮・ハイヤリングホール(雇用事務所)の組合運営を要求。特にシェイプアップ制(整列選別雇用)という不安定な日雇い制度の廃止を求め、ハイヤリングホールの獲得を闘争の目標にした。だが、要求は受け入れられず、5月9日に西海岸の全港でストライキに突入。警察、自警団は労組側を襲撃、何度も激突した。特に7月5日にピケットを襲撃した警官隊は2人の労働者を射殺(「血の木曜日」)。これが労働者の怒りを呼び起こし、海運・港湾以外の労働組合もが次々ストライキを決議し、十数万人のゼネラルストライキへと発展した。

当時、ILA本部が任命する専従役員の支配に対決して、ランク&ファイルの闘いを組織したのがハリー・ブリッジス(1901~90年)だ。37年にはILAから西海岸各支部を分離、ILWU(国際港湾倉庫労組)を結成、長くその委員長を務めた(37~77年)。

ハイヤリングホール
組合員全員によって民主的に選出された「ディスパッチャー」(派遣員)が、すべての組合員に就労を割り当て、それぞれの波止場に派遣する制度。34年ゼネストを契機に37年にかちとった。今でもILWUの誇りになっている。



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