日 誌 |
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2009年日誌 | 2010年日誌 |
スケジュール |
3月3日(水) |
昼食は豚肉・生姜焼き | 切干し大根サラダの新作 | |
納豆キムチ | ミサキさんから高級・韓国海苔の差入れ | |
時計マイスター・大越さん、今年登場 | 3時のオヤツの後で、学習会 |
今日は、増田講演の(下)をやろうと思ってけど、月刊「交流センター」(2010年3月号)動労千葉・田中委員長の文章に突然、変更。 | |||
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1章 動労干葉 2・1~2ストライキは青年の決起と組織拡大を勝ち取った |
1~2日のストライキは平日にもかかわらず多くの仲間が駆けつけてくれて大成功に終わりました。闘争の報告から始めます。 今度の闘争は、検修構内業務の全面的な外注化に対する第1波闘争という位置づけで闘いを始めました。組合員にもこれから数年がかりの大闘争に入るんだと訴えました。これは明らかに第2次分割・民営化反対闘争になる。そして、日本の労働者と労働組合がどうなるのかということを左右する闘争になると訴えました。 今度の闘争が成功だと思ったのは、うちの組合員の目つきが変わった闘争になったことです。毎年ストライキをやってきましたけれども、今回は今までとも全く違う形でここでもう一踏ん張りするんだという感じになりました。もちろん滝君や幕張支部の小沢副支部長の配転が阻止できたわけではありません。しかし、どちらかと言うとそんなのはある意味では屁のカッパで、これから国鉄分割・民営化攻撃に本当に決着つける大闘争に入るんだという点で組合員が真剣になってくれました。 これからやる闘争は比喩ではなく、文字通りの第2次分割・民営化反対決戦になります。僕は、絶対にあらゆる労働者の怒りの声を決起に転化させてみせると構えていますし、半ば出来ると確信を持ちました。うちの組合員はバロメーターみたいなものです。真剣に訴えたらそうなんだと食らいついてくれたということは、この闘争で日本の今の労働運動の現状を変える闘争ができるということです。 |
新たに2名が動労千葉に結集 |
それでこの闘争の渦中で2人の 幕張の労働者が動労千葉に結集をしてくれました。国労の、ずっとよく知っている仲間たちです。国鉄分割・民営化反対闘争の頃から今日まで25年、スト破りをやらされ続けて来たわけです。動労千葉に結集するきっかけは20何年間ずっとあったけれど自分は国労で、という人たちでした。しかも今回はスト破りを指令されたわけではない。だけれども2人とも結集してくれた。つまり時代の流れと、一体何に立ち向かおうとしているのかということが職場全体に敏感に通じている。ここで立ち上からなくちゃいけない。そういう決起だったと思っています。 それと地上勤務者、これは検査修繕部門、本線運転手ではない部分はあえて2日目の13時に職場に復帰する方針を採りました。要するに途中で職場に乗り込んでいこうと。それで非常によくわかったんですが、例えば幕張なんかはもう戒厳状態です。現場に加えて本社と支社の管理者が全部職場を制圧して、復帰した50人余りの組合員を詰め所にも行かせない。詰め所には平成採をはじめ、国労や他労組の組合員もいる。だからがんじがらめにして詰め所にも行かせない。復帰して点呼とらなきゃいけないじゃないですか。安全靴なんか詰め所に置いてあるわけです。「安全靴だとか制服だとかどうするんだよ」と言ったら当局は「そのままの草履でいい」つて。これまで草履履いて点呼取って何人処分されたんだよって。それぞれのパートの詰め所に行ったらその周りを全部囲われている。当局は、この闘争で平成採など動労千葉に本当の意味で流れちゃうんじゃないかと。この1点を止めるために、これだけの態勢を取った。翌日もその翌日も全く同じ職場の状況です。朝行けばロッカールームから当局がぴったりと並んでいる。帰りのロッカール~ムも並んでいる。 それで実は僕はこの闘争の渦中で一番感動したことなんですが、たまたまストライキの翌日に幕張の平成採を集めてやる学習会を予定していました。こんなのは内緒にできないからもう公然とやっているわけです。公然とやれば当局が絶対に行くなとやるじゃないですか。そのとき職場はさっき言った状態じゃないですか。しかもそれに行かせないために仕事まで遅らせた。勤務時間内に終わらない ように交番検査をやらせたんです。今日はさすがにこの状態だから1~2名ぐらいしか来ないだろうなと思ってたら、そこに当局を振り切ってたくさん参加してくれた。大したものだなと思いました。 |
2章 外注化攻撃の重大性を 改めてつかみとった |
これから外注決戦の問題について、少し話をします。僕自身認識を相当新たにした面があります。これまでのその認識・見方は弱かったんじゃないかと考えています。 外注化というのは資本主義の最大の核心的攻撃です。この20数年間国鉄分割・民営化から始まった新自由主義攻撃に、労働者が立ち向かえた例がどれだけあったのか。みんな組合の幹部が腐って、立ち向かうどころか、合法性を与える役割を果たしてきました。その中で労働者がどれだけ非正規職やワーキングプアの現状に叩き落とされてきたのか。僕らも労働分野の規制緩和や道州制360万一旦首切りだと語ってきました。だけどよくよく考えてみたら派遣法が国鉄改革法とワンセットで出来て、それから労働分野の規制緩和があって、その途中で日経連の労問研報告が出て9割の非正規化が出された。だけどそれは表面だけしか見てなかったんじゃないか。 それは確かに規制緩和・民営化路線という枠組みが出来た中でやられたことは確かです。だけどやられるには現場の攻防があっただろう。そういう現場の攻防、闘えた場面、闘えなかった場面、そういうことを通して全部が貫徹されていく。そこを余りにも見てなかったんじゃないか。ここが一番核心だったんじゃないか。 実践が路線を作るって本当にそうだと思ったけれど、われわれのところに攻撃が来て初めて事の重大さを本当の意味で認識することが出来たという思いでいます。 そういう問題意識はずっとあったんです。つまりJRの場合には2001年から始まるわけです。全面的な外注化という攻撃が。保線や電力や信号・通信、設備部門と言われましたけども文字通り丸投げ的に突き落としていく。そのときに東労組はもとより国労も何もかも含めて全部呑んでいく。保線は国労の拠点で活動家はあらかた保線にいる。これを要するに闘ってダメだったんじゃなくて、はなっから全部呑んで行っちゃう。一体何なんだ、これは。こんなことを許して労働運動の再生や労働組合の復権だとか言ってもそれは何なんだと思っていました。 僕らはこれは第2の分割・民営化攻撃だと捉えて職場で起きるシニア制度や幕張の構内事故だとか館山運転区廃止だとか、とにかく次から次へと起きるひとつひとつに必死になって立ち向かってきました。闘いを通して千葉だけは外注化を止めたし、幕張事故で解雇させないだけのものを勝ち取ってきました。 |
外注化こそ民営化攻撃の核心 |
しかし、ここに来てそれだって認識が甘かった。結局、今度の攻撃は、7つに分割された国鉄を数百の子会社・孫会社その下に分割するという攻撃なんです。それで労働者の雇用、退職金、賃金全部が破壊されて安全が崩壊するという攻撃です。文字通りの分割・民営化攻撃です。もっと言えば民営化とはある種の経営形態の問題、形式です。民営化の実態はまさにこれじゃないかと。 例えば今度1万6千人首を切られる日航。日航は374の会社に分割されている。海外も含めてですよ。NTTは340いくつの会社に分割されて、今NTTの社員は発足時31万4千人、今3万人を切っている。―割いない。9割の労働者は賃金下げられて退職を強要されて全部バラバラに子会社に行っている。子会社に行ったのがその下にさらに突き落とされています。僕の知っている人はNTTにも縁もゆかりもないKDDIなんかの商品を販売する会社に行かされてますよ。こうやって膨大な非正規職労働者が作られる。 20数年間、これをやられてきたわけです。どこかで反撃しなくて闘う労働運動の復権はない。反撃できなかったら「労働運動の再生」は口だけかと。一つでもいいか らこんなことをぶっとばせるということを見せなかったらいけない。今度の闘争をそういう闘争にしようと思っています。直接われわれの職場だからそういう責任もあると思っています。 それで、ぶっとばすことは「できる」と思っています。考えてみたら、国鉄分割・民営化とは新自由主義攻撃の出発点です。でもそれが全部破綻して労働者の雇用を破壊するということを土台にして教育も医療も社会保障も何もかも人間が生きていく術を全部破壊することにまでなって、矛盾が噴き出して、資本主義は終わりの終わりまで行き詰まって悲鳴をあげている。こういう状況の中での攻撃です。怒りの声が社会の隅々にまで積み上がって充ちている中での攻撃です。逆に言えば国鉄分割・民営化で1047名闘争が存在したり、何か闘いが継続する。動労千葉も存在した。という状況の中で、本来なら国鉄分割・民営化を強行してその2年か3年後にはやりたかったことが23年間出来てきてなかったからここまで来ているわけです。だったら勝算ありと思うんです。だからそういうものとして外注決戦を構えなくちゃいけないと考えています。 |
3章 外注化絶対反対と資本主義打倒の展望 |
『ルポ貧困大国アメリカⅡ』(堤未果/岩波新書)を読んで、やっぱりそうだったと思ったことは、民営化、外注化は資本の基本路線だったということです。本の中に「外注化革命」というフレーズが何度も出てきます。20世紀後半、1990年代に、つまり80年代から民営化路線でパーッ来て90年代「外注化革命」と呼ばれてこれがやられたと。結局、外注化の行き着く先は受刑者労働まで行っちゃっている。アメリカで104を回すと全部刑務所に通じるらしいですよ。受刑者が電話交換の労働力として使われている。月給3千何百円で、その業務を刑務所に委託するんじゃなくて受刑者を雇うんです。つまり外注化がここまで行く。外注化は「官から民」という狭い話ではない。これは基本路線で、民営化・規制緩和、外注化路線だった。まさに民営化の実態そのものだ。これを通して労働者は結局ここまで突き落とされたんだってことがよくわかりました。 全体からみたら針の穴みたいなものかもわからない。だけどぶっ飛ばせるんだというものをこの闘いでやって確信しました。そういう意味で今始めた闘争は、これから数年がかりでやる第2次分割・民営化反対決戦です。組合員にもそう訴えました。これができなかったら労働運動の未来や労働運動の復権など言うのはやめようという話をしたんです。これが出来て初めて言えることじゃないか。それぐらい重大な闘いで、個別の問題では全くない。これは、僕自身がこの問題を考え抜く中で認識を全く新たにしたことです。 もう一方では、道州制360万首切りの問題がある。そういうふうに考えたときにこうやって闘えばいい。そうすればこんなもの突き崩せるという展望も見えてきたという思いがあります。現実にやられている道州制360万首切り攻撃の現実は、「官から民へ」と経営形態を変える前に現実にやられちゃっている。だって公共サービス部門の5割、職場によっては6割がもう外注でしよ。派遣が入ったり委託になったり。ここが核心であって、どっちかというと最後のとどめとして〈一旦全部解雇-再雇用〉があって、この過程で労働組合を破壊していく。 そう考えると、今の資本主義の危機の全体像も非常によくわかるようになった。一方ではこの間言われているとおり金融派生商品や金融帝国化しているわけです。全く現実と関係ないものがサブプライムローンまで行く。何の価値も生み出さない。ここまで資本主義が行き着いた。他方で自動車を造ってモノは造っているわけじゃないですか。モノを遣る方は全部いかに濡れ手に粟の利益と儲けを得るのかということで、ついに受刑者労働まで突き落としていく。ここまで進んできたということです。このふたつは完全にひとつです。資本主義の行き着いた最末期です。 受刑者労働というのは資本主義が生まれてくるときにあったことですよ。三池炭鉱なんか受刑者労働から始まっているんです。資本と資本の喧嘩になっています。なんで三池だけこんなうまい話があるんだと。それで受刑者労働をやめたんです。他の炭鉱資本から三池だけこういう特権が与えられているのは何だってね。資本主義の一番野蛮な頃の出発点に戻ったことが今の現状で、全てがこれから破綻するということです。これに闘いを挑む闘いでもあると僕は思います。そういう闘いに入りたいということがひとつです。 |
4章 反合・運転保安闘争路線で戦後労働運動の限界を突き破ろう |
それとこうやって考えたときに、では戦後の労働運動の限界とは何だったんだという問題にあらためて突き当たった。そこが非常に鮮明になってきた気がするんです。 つまり、僕らはずっと民同、協会、日共から革マルに至るまでの戦後の労働運動が腐ってきた過程を見ていて、こんな現状をのりこえたい。労働者はこんなにみじめなものなのか。労働組合はこんなに情けないものなのか。そうじゃないはずだって、やってきたわけです。で、それは一体何だったのか。つまり、ここで合理化攻撃をもう一回真正面から見据え直さなきや行けないんじゃないか。 今度の外注化とは究極の合理化攻撃です。合理化攻撃というのは資本の本質じゃないですか。資本家を認めないということは資本主義を認めないということになるわけです。だけど毎日、日常不断に様々な形で要員削減など合理化攻撃が職場に激しくかけられてくる。これを否定したら資本主義が終わるわけです。だからあらゆる勢力がこれに立ち向かえなかったわけです。革マルも協会派も「合理化絶対反対」とか言ったけれども口先だけになるわけです。全部その過程で「仕方がない」が組合員への説明になるわけです。労働組合なんか大した力はないんだということばっかりを組合の幹部は組合員に植え付けるわけです。それだけを植え付けたと言ってもいいかもわからない。高度経済成長期にはバーターみたいな〈モノ〉があった頃もありました。今はそれすらない。合理化攻撃というのは基本的に労働者の意識をバラバラにします。そもそもこの攻撃そのものが必ずどんな場合でも絶対的に組合の団結破壊という形になります。合理化のたびに日常不断に腐っていく運動が戦後の組合運動でした。そして、ついにここまできた。革マルで言えば国鉄分割・民営化の手先になるところまで行っちゃう。協会もそう。みんなそうです。 合理化攻撃との闘いは結構難しい問題です。合理化の日々の攻撃に立ち向かって、表面上は残念ながら資本主義体制である以上、勝てる方が少ない。やられていくわけです。だけど団結だけは拡大していく、発展していく。労働組合を強化していく闘い方が出来ないものか。それが戦後のあらゆる勢力の労働運動の常識を打ち破る道だと思うんです。 そうやって考えてみると、動労千葉の原点は反合・運転保安闘争だ。船橋闘争から始まった。これは組合員の実感というか身について体得しているものです。理屈ではなくて、この下に団結しているんです。どんな場合にもこの下に団結している。反合・運転保安闘争の下に団結しているんです。これがあったから動労千葉は闘う労働組合に生まれ変わったわけです。分離独立後ジェット闘争も国鉄分割・民営化反対闘争もその後の厳しいJR体制下での20年間の闘いも全部これで出来た。 僕らは鉄道だから反合理化・運転保安となりますけれども、単に動労千葉がどうのというのではなくて、この時代における普遍的な意味を持っているんじゃないか。この外注化問題が来てみて僕自身もあらためて気がついた面があるんです。これなんだって。戦後労働運動を質においてのりこえてることは間違いないです。これが国際連帯まで行っちゃったわけだから。国鉄分割・民営化でも立ち向かえたのは僕らだけだったじゃないですか。団結は崩れなかったわけです。でも現実は全部やられたんですよ。40名首を切られて100数十名活動家が配転されたら、普通の組合だったらそれでつぶれているんです。この過程でつぶされた職場、基地も5つにのぼります。つぶされたらみんなバラバラになっていく。だけどこのとおりに団結を強化することができた。こういう闘い方ができれば、労働組合ってすごいんだ、素晴らしいんだ、団結した力なんだ。こういう拠点がいくつかあって力を持つたならば、世の中動きます。 |
5章 反合・運転保安闘争の真価をかけた検修外注化闘争 |
この闘争は、新しい時代での反合・運転保安闘争の真価をかけた闘いなんです。 反合・運転保安のことを少し歴史的に言うと、国鉄での闘いは62年の三河島事故、翌年の鶴見事故から始まりました。しかし、その前に事故がなかったわけじゃない。むしろ信号なんかボロボロですから毎年のように何十人と死亡する列車事故が起きている。だけども闘えなかった。 60年安保闘争の高揚の後だったこともあって、この闘争が始まりました。事故に対する現場の怒りは激しかった。だって動労なんかで三河島事故の後、当局は事故防止対策委員会を設置するということを組合員に提案するわけです。入るのは本社の安全担当、各局長、組合の幹部の労使。これを組合は国労も動労も協定締結する。締結したらその年の暮れの大会で「何でこんなものを呑んだんだ」と現場の激しい怒りの中で協定締結が承認されず、執行部が総辞職するところまで行っている。だけど、これは修善寺大会に似ているよね。結局どうやって収束したかというとATSの設置をもって収束しちゃったわけです。労働組合の強化になってない。 |
松崎の裏切りの出発点 |
そのときに松崎は一枚かんでいる。ちょうどその事故の後の暮れに松崎の職場である尾久、田端の基地統廃合という問題が起きて、この問題が一緒になって議論される。だけどATSを設置するという話になったら、ストライキを構えていたんだけれども、尾久・田
端の基地統廃合にいっさい一発のストライキも構えないで呑んじゃったんです。松崎は当時若かったけれども職場の実力者で、本部青年部長か何かで、松崎が事実上判断しているんです。松崎はこのATS設置で闘争中止したことを成果であると評価しました。その時に松崎が何と言ったのか。「『闘争中止反対』ストライキをやるべきだ」という声に対して「労 働運動を知らないやつらがこういうことを言うんだ」と答えている。これが結局、国鉄分割・民営化の裏切りの出発点なんです。全部同じです。こうやって敵の合理化攻撃には立ち向かえないんだという。それが常に安全問題とひとつの問題で、そこから怒りが噴き出して、闘われてきた。 そういう中で動労千葉の反合・運転保安闘争があった。これは初めから意識して路線としてやったわけではないわけです。職場の怒りが結集する中で闘いの原点なり路線になった。事故があった時の千葉地方本部の執行部というのは御用派、右派幹部ですから。この闘争を闘うことを拒否したんです。だからこの闘争の指令は全部現場から現場に出しています。地本とも本部とも大喧嘩をしながら。それでそこに千葉気動車区に中野洋前委員長がいて、それを全支部に下ろす。現場で作っている。順法闘争なんかをガンガンやる。順法闘争なんかをやる時は地本とかに押しかけて「指令を下ろせ」とガンガン弾劾して形式上下ろさせて、後は全部現場でやる。その闘争に膨大な組合員が、出す指令の倍集まったという。何に腹が据えかねるのかと言ったら、明日はわが身だ、事故の責任を全部転嫁される。自己責任転嫁を許すなってことなわけです。ここで一気に爆発する中で、その翌年、動労千葉は闘う執行部ができて、まさにこの闘争の中から生まれた。だからこれが路線になっていったんです。 今度も外注化闘争の中でこの大恐慌時代に闘える労働運動の路線を作ろうと思うんです。僕が作るんじゃないんです。この闘いに現場が総決起してくれれば現場の中からできてくるんです。そういう闘争でもあるし、国鉄労働運動的に言えば1962年の三河島事故以来の全総括をかけた闘いになる。 |
6章 外注化阻止闘争と1047名闘争で労働者の総反乱を |
最後に一言だけ述べると、いろいろな意味で国鉄の労働運動は戦後の労働運動の全体を左右するような位置を占めてきました。日本は鉄道大国ですしね。で、明らかに60年安保闘争は1957年の国鉄新潟闘争から始まっているんです。57年も高揚した年だったんだけど、あらゆる勢力が屈服していく中で新潟の労働者たちだけが闘いを継続しました。労働者の力と いうのはこういう闘いができるんだということを示した闘いでした。あらゆる勢力がこの闘争に注目した。この闘争から60年安保が始まる。 そして1967年から始まった70年安保・沖縄闘争も、国鉄5万人反合闘争からマル生粉砕闘争の国鉄労働者の闘いが土台になってここに沖縄の怒り、学生の怒りが結合して、70年安保・沖縄闘争になっているんです。 この大恐慌時代に1047名闘争と外注決戦が2・1~2ストライキで新たに開始されました。これに全力で決起する中から労働者の総反乱を作りたい。 全体もこの間職場で必死になって実践し苦闘してきたじゃないですか。この全国の土台があるからそう言えるわけです。これがなかったなら、そんなことも言えなかった。この1~3年、全国の仲間たちが職場で本当に苦しい思いをしながら立ち向かっていった。この実践がこの闘争を作り出し、この闘争が労働者の総決起を作り出す。こういう段階にいよいよ来たと思います。 今日は時間がありませんから1047名闘争のことは多くは語りませんが、これも本当に正念場です。つい一昨日、社民党が国会で質問をする形で年度内決着ということをやっています。ここで始末をつけなければ、もう何か始まるかわからないという敵の恐怖です。社保庁の525人が斡旋を拒否して自分で分限免職になって闘い始めるという状況。これから道州制攻撃に資本主義のどうしよもない危機の中で突っ込まなくちゃいけないということ。もう1047名闘争に始末をつけるしかなくなっているということです。そうしなかったら敵も前に進めない。だからここに松崎革マルがからみ、全勢力ががらんできている。こういうことも含めて1047名 闘争と外注決戦でこの時代に通用する労働運動を作りたいと思っています。 最後に2月13日代々木公園に全国から総結集することを訴えます。 |
7章 交流センター新代表就任にあたっての決意 |
もう1点だけ付け加えさせてください。交流センターについてです。この交流センターは、中野顧問と佐藤芳夫さんが作った組織ですが、国鉄分割・民営化攻撃の総括として作りました。だから1989年結成。国鉄分割・民営化の結果、総評が自ら解散してしまう。これは大変なことになる。その年に小さくたって下から揺るがすものを作らなきゃいけない。まさに国鉄分割・民営化闘争をこれからどう継続して立ち向かい続けることができるのかということの総括が交流センターでした。 再び国鉄闘争が全体を左右する焦点になっている時に交流センターをもう一回原点に返って、ただちに現状を倍するぐらいにしなきや勝負にならないと思います。本当に強化したい。代表を引き受ける以上は、これを誇れる組織にしたい 。 実際、外国の仲問たちが何に感動しているかというと交流センターに感動しているんです。だって11月集会のような立派な大会があって全国各地になんでこんな組織を作ることができたんだって。アメリカにこういう組織があるか。韓国民主労総の左派だって全国にこういう組織を持っているか。交流センターを宝の持ち腐れに絶対にしてはいけない。ものすごい可能性がある組織だと思っています。大衆的にこういう労働運動の組織なんだと打ち出せる立派な組織なんです。この時代に立ち向かいたかったら交流センターを闘う組織、どこに行っても通用する僕らの誇りみたいに押し出す。そうした決意で闘いの先頭に立ちたい。(2月6日の特別報告に加筆修正) |
アレーッ、夕食の写真がないぞーっ!。東京演劇アンサンブルの青年が、次回作の宣伝に来ました。 | ||
今週は、今日だけ天気がいいので、屋台をやります | ||
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3月2日(火) |
今週の「前進」。日曜日「前進」を下さい と言って入ってきた青年がいました。 |
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昼食は焼き紅鮭 | 有明の海苔 | キムチ |
ス労組・物販の「漁師ふりかけ」 | 明太子 | 奈良漬 |
三時のお茶の後、「戦後国鉄労働運動と反合・運転保安闘争路線検修外注化阻止闘争の歴史的意義について」動労千葉労働学校講師・増田さんの後援の前半を学ぶ | ||
夕食は豆乳鍋 | ||
胸肉の大葉バター |
3・4法大包囲デモをやるぞ! |
3・14法大弾圧を許さない法大生の会 のブログから転載 |
倉岡さん(人環3)への呼び出し弾劾! 4学生への処分阻止! カリフォルニア教育ゼネスト連帯! 3・4 法大包囲デモ ◆3月4日(木) 12:30 集会開始 @法大・市ヶ谷キャンパス門前 13:00 デモ出発 ◆呼びかけ:法政大学文化連盟 3・14法大弾圧を許さない法大生の会 |
増田総長・理事会こそ辞任しろ! |
2月28日付の新聞の全紙が報道した。(上の記事は『読売新聞』)暴力をふるった教師2名が懲戒解雇処分になった。増田壽男法大総長、浜村彰法大常務理事、榎本勝己法大理事が、それぞれ減給3ヶ月になった、と。 しかし、ちょっと待て! 法大当局は、そもそも1月下旬に修学旅行での「暴行事件」が発覚して、「教育のあり方を見直す」と謝罪したばかりである。その間に起きたことは、法大においては、キャンパス全面飲酒規制であり、学生処分策動であり、2・5法大入試弾圧での6学生の逮捕だ。確かに、学生に暴力をふるった教師(=教育労働者だ!)はナンセンスだ。しかし、真っ先に辞職すべきは、学生管理を真っ先でやってきた法大総長・増田であり、理事会だ。減給でお茶を濁すことなど許さない! 一体、理事達はいくら給料もらってるんだ! そして、暴力をふるい、110番通報した職員こそ、やめさせ、法大から追放すべきなのだ。 移転と共学化に際し、同校はかなりの「イメージチェンジ」を図ったようだ。自由な校風が特徴だった男子校時代について、同校ホームページはこう記している。 「短パンにアロハシャツ、茶髪、ピアスをつけて登校する生徒もいました。自由のはき違えが、基本的生活習慣の乱れにつながった生徒も数多くいました」 「共学化となるにあたって、まず、私たち自身が襟を正したうえで、生徒には、はき違えた自由に安住させないことを強く意識しています。生活指導の改革なくして新たな発展は望めないからです」 移転と共学化に伴う「校風刷新」には抵抗もあったという。直前の18年4月には、茶髪禁止などの校則強化に対し、生徒約450人が校庭に座り込んで抗議する騒動があり、新聞でも報道された。 学校改革から3年。男子校時代の校風と、新たな校風が共存する中で、今回の体罰事件は起きた。「共学化してから校風も変わりつつあるようだが、まだ男子校時代を知っている生徒もいる。共学化で学校側が管理を強化していったことと、今回の体罰が無縁だとも思えない」(産経ニュース) この3・14弾圧と軌を一にする3年間あまりの法大資本の急激な学生管理体制の強化にこそ、そもそもの根本の矛盾があるのだ。 ただちに、法大資本は学生弾圧をやめろ! 法大を出て行くべきは、増田総長・理事会であり、弾圧職員であり、ヤクザ部隊だ! ↓産経ニュースに大々的に特集されています。「【衝撃事件の核心】殴るける、つまようじで刺す… 法政高校の教諭を異常な体罰に走らせた理由は?」参考までに。 http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/100227/crm1002271202002-n1.htm |
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3月1日(月) |
支援する会街宣用ビラPDF 639kb |
動労千葉のホームページから転載 |
第2波スト写真速報(3・1) スト総決起集会:14時・千葉文化センター 260名 NEW 日刊動労千葉6952号 |
速報 3/1スト 幕張車両センター |
動労千葉を支援する会のホームページから転載 |
動労千葉支援する会、早朝、新宿JR本社前で街宣 |
幕張本郷駅でストライキ支援行動! |
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幕張車両センターストライキ決行中 ストライキに入った組合員が職場から続々組合員が出てきました! みんな意気軒昂!誇り高い!! 組合員を拍手で迎えます♪ |
3・1スト貫徹!動労千葉総決起集会に260人の結集 | ||
荻窪に戻ってきて、台湾料理店で夕食 |