日  誌
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 2009年日誌
スケジュール
休みばかりに見えるけど、忙しいです。
リサイクルショップは閉めていますが、共同作業所「街」は、
ほとんど毎日、オープンしています。
9日(日) 10日(月) 11日(火) 12日(水) 13日(木) 14日(金) 15日(土) 16日(日) 17日(月) 18日
少し
営 業
夕方
バーべQ
営 業 集 会

デモ
営 業


8月8日(土)
明日から夏休み。
最近見知りになったお客さんに団結ビラを渡しながら、話す。
韓国、サンヨン自動車の闘いのビラ、そして8・6ヒロシマの報告ビラ・・・・

その人はヒロシマ出身だった!!
「いつもここのミーティングを聞いていますよ。母も祖母も被爆者手帳を持ってます。何であの日、ヒロシマに原爆が落とされたのか、今でも考えるのよ。ここでヒロシマのことを取り組んでくれてありがとう」

オバマの演説に、その人は怒っていた!!

 だ  ん   け  つ
2009年8月8日
№182
福祉労働者連帯ユニオン 「街」分会
関町北4-2-11
リサイクルショップ街 気付
・6 双龍自動車争議が終結 
組合員を抱きしめる支部長 6日午後7時
 5月22日に平沢(ピョンテク)工場を占拠し無期限ストに突入、整理解雇撤回・総雇用を要求し、資本・国家権力との壮絶な死闘を戦い抜いて76日。8月6日午後、労使合意に至り、ストライキ闘争の幕を閉じた。最後までハンサンギュン支部長のもと組合員の団結を守り抜き、大恐慌下の労働者はかく戦うという、労働者階級の真骨頂を示した闘いだった。この一点で偉大な勝利を歴史に刻んだ金属労組サンヨン自動車支部の工場占拠ストは、世界の労働者を鼓舞激励し、サンヨンに続く決起を生み出している。何よりこの日本で、11・1労働者集会1万人結集集としてサンヨン闘争を引き継ごう!

 前日5日、殺人的な総攻撃を受け、最後の砦である塗装2工場に退却したサンヨン車組合員らにハンサンギュン支部長は、「最後まで闘おう」と決死抗戦を訴えた。「塗装1工場で火災が発生し、引火物質による危険と安全事故のために退却を命令した」と経過を報告した支部長は、「すべては政府と使用側の強硬姿勢のために労組が戦わなければならなくなった。損賠仮差し押さえ、刑事処罰などすべての責任を支部長が負う」と決意を語り、「私を信じて最後まで工場を守ろう」と訴えた。

 さらに支部長は「すべての意見を握りつぶす政府に怒っている。今すぐにでも自決したい心情だ。しかし、生きて勝利しなければならない。同志らの安全の責任を負わなければならない。精神も整えて対話で解決を導く」と強い決意を語った。このような支部長の決意に組合員ら全員が「トウジェン(闘争)!」で応じた。組合員らは塗装2工場と組み立て3・4工場間にある勝利広場側の出入口に灯油など引火性物質を多量ばら撒き、塗装2工場に警察兵力が進入した場合に備え、背水の陣を敷いた。

 6日、正午すぎから労使交渉は再開された。サンヨン資本からパクヨンテ共同法定管理人、労組からはハンサンギュン支部長の1対1交渉となった。午後2時50分、合意が成立した。サンヨン自動車が6月8日付で整理解雇した976人中、現在座り込み中の組合員を対象に、自発的選択により無給休職、営業職転職、分社、希望退職などの方法で非常人材運用を実施することとなった。人材構造調整が避けられない場合、会社は当事者と十分な協議を経た上、無給休職と営業職転職48%,希望退職と分社52%の比率を基準とすることで合意した。

 6日夕、ハンサンギュン支部長と指導部が塗装2工場内で組合員らと報告大会を開催し、合意内容を報告、組合員の同意を確認した。午後7時30分、ハンサンギュン支部長は決意大会を終えて組合員らと抱き合いあいさつをした。その後、支部長は労使調印式に臨んだ。

 組合員らは今回の合意文に対し、整理解雇撤回がかちとれなかったことは悔しいが、最善を尽くして戦ったので後悔はないという雰囲気だ。ある組合員は「10年間働き、整理解雇と4年前に売却されたのが根源だが、イミョンバク政権になってからの1年半、反労働者的政策が我慢できない」と語った。

 報告大会でハンサンギュン支部長は「労働者間の傷が埋められないような戦争になった。使用側がこれを誘導した。労働者らは政権と資本の殺人鎮圧に対抗して、生存権を要求しながら戦った」と振り返り、「必ず整理解雇は撤回されなければならないという信念で戦ったが全面的に防ぐことができなかった。同志たちに申し訳ない」と語り、「労働組合22年の歴史上初めての事態だった。私はサンヨン自動車労組設立委員会準備委員長として労組とともに生きてきた。労働者の存立基盤である労組が崩れてはいけない絶体絶命の瞬間が持続している」と、新たなステージでの闘いの継続と組合員の団結を訴えた。

 イミョンバク政権と労働者は共存できない。イミョンバク政権打倒に立ち上がるサンヨン労働者とともに連帯し、すべての権力を労働者階級に取り戻そう!(J)

 77日間のサンヨン自動車労組の同志たちの英雄的な戦い

娘と再会 6日午後、労組員たちが占拠していた塗装2工場から出て手を振っている。
 
煙突からの座り込みをしていた組合員も救出

8月7日(金)
戻ってきました~ぁ。広島のお土産、もみじ饅頭
ヒロシマ大行動に参加して
ベッキー
・デモに途中から入ってきた外国の人。どうすれば11月集会に参加できるのか、どうすればこの集団に入れるのか、詳しく聞きたい、とのことだったので説明した。
・下田礼子さんと会えた。
・Oちゃんの解雇撤回の闘いの報告、勝利した、という話がよかった。
・全行程に参加できたのがよかった。
・精研の青年労働者の発言。体制内とのたたかいと、ストの報告。
・ヒロシマは死にそうに暑かった。かんかん照り。
・朝デモ。日赤病院前通過。被爆当時の建物が残っている。上部の黒い部分は被爆後の黒い雨のあと。
・朝デモの後、原爆ドームの辺りではいろんな人がパフォーマンスをしています。
・本集会。台風で飛行機が欠航だったので前日不参加だった晋くんが間に合う。
・10年研修の日だったのですが、こちらに来ました!!と、ヒロシマの青年労働者(教労)
・メルパルクに田母神が来る。
・デモコール。「麻生帰れ!」「田母神打倒!」「団結勝利!」「オバマは打倒!」
・行きの新幹線の中で学習会をしてくれた。日ごろからわからなかったことをたくさん質問できた。
 1047名のこと、動労千葉のこと、サブプライムローンのことなどが、すーーっと、入ってきた。
 昔の同僚が過労死したことを思い出した。そのときは「しょうがない」と思っていたんだけど(怒りはあった)、学習会をして不条理なことに対する怒りをもった
・交流会のときに聞かれて、感想は何もいえなかった。けど、なっちゃんにヒロシマに来れたことがすごいんだと言われてほっとした。
・いままでは知識から入らないと燃えないタイプだった。どうしたらいいんだろうと思っていたけど。
・私が一番可能性がある人だ、と言われていた。仁君から一緒にやろうとずっと言われていた。
・正直いろいろパンパンになった。
・仁君のこと、「街」のこと。
・いままで人に拒否されてきた。
・ここ(街)でがんばって行きたいと思う。
・いままでは活動に心閉ざしているからうまくいかないって思った。
 下田礼子さんと会えた
仁君
・ベッキーがヒロシマに行こうといって、泊りがけで出かけられる体調ではなかったけど、とにかく、いった。
・2日目の集会でも食えなかった。
・西荻館の人にヒロシマで会った。
・11月なんで、1万人なのか。なんで10万じゃないのか、と思ったけど、田中委員長の話をきいて、本当に丁寧にはなしていて、遠く、ヒロシマで聞けて、熱意を感じた。
・ヒロシマは本当にすごいところで、そこで田中さんの話をきいて、よかった。
「街」は、ここ・「街」で団結を固めて11月労働者集会へ驀進するぞ!
昼食は冷し中華 三里塚のモロヘイヤとゴーヤーの
和え物
下田礼子さんの差入れカルピス・セット。有難うございます!
カルピス&もみじ饅頭
夕食は刺身 トロ鰹、イナダ、鯵、サーモン
三里塚のジャガイモとアサリの煮物 レンジ茄子  何故か花束を抱えたユッ君

♪ ああ~ぁ 今日も武蔵関は ゲリラ豪雨だった
2009/08/07 20:40
水位観測情報【溜渕橋・水位グラフ】   (所在地) 練馬区関町北3-45
水位観測情報【富士見池・水位グラフ】   (所在地) 練馬区関町北3-45
水位観測情報【稲荷橋・水位グラフ】   (所在地) 練馬区石神井台7-9

 だ  ん   け  つ
2009年8月7日
№181
福祉労働者連帯ユニオン 「街」分会
関町北4-2-11
リサイクルショップ街 気付
8・6ヒロシマ大行動、
1800人で大高揚!
 
 8月6日午後、「全世界の労働者・民衆の団結で核をなくせ! 戦争・改憲をとめよう! 被爆64周年8・6ヒロシマ大行動」の集会が広島県立総合体育館小アリーナで開かれ、全国から労働者や学生ら1800人が集まり、大成功した。集会後、広島市内デモを戦闘的に闘い、「ヒロシマ、ナガサキを繰り返すな!」「核武装を叫ぶ田母神を許すな」のシュプレヒコールで、沿道の労働者市民と心を一つにした。

 集会は、被爆者からの訴え、高山俊吉弁護士の裁判員制度廃止・改憲阻止アピール、実行委員会による基調報告などの後、「アメリカからの連帯」としてILWU(国際港湾倉庫労組)ローカル34のホアン・デルポソさんがオバマの核独占を弾劾し、参加した労働者と被爆者に「国境を越え平和と連帯を求めて共に手を組み闘いましょう」と訴えた。沖縄からのアピールで、沖縄北部合同労組うるまユニオンの富田晋副委員長が、体制内指導部には展望がないことを突き、「道州制粉砕・米軍再編粉砕の先頭に立つ」と誓った。獄中35年の星野文昭さんからのメッセージが紹介された。

 国鉄闘争、不起立を闘う教育労働者、道州制・民営化と闘う自治体労働者、法大暴処法弾圧と闘う学生などから、次々と勝利の確信も固く決意が表明された。田中康宏動労千葉委員長は、「大恐慌は労働者の力を生む。労働者には力がある」ことを強調し、改憲と戦争、民営化・労組破壊と闘う11月労働者集会への総結集を呼びかけた。多くの発言者が11月集会への1万人結集を心をこめて訴えた。

 この日朝の平和祈念式典で秋葉広島市長はオバマ賛美一色の「平和宣言」を打ち出したが、ヒロシマ大行動はこれに対して、核を独占し侵略戦争を続けるオバマへの真っ向からの弾劾をたたきつけた。早朝の祈念式典弾劾デモには550人が決起し、麻生来広を弾劾した。麻生・オバマ打倒へ、労働者の団結の力だけが核と戦争をなくす道であることが宣言された。(高)


アメリカ・ILWUローカル34のデルポソさん


「全世界の労働者・民衆の団結で核をなくせ! 戦争・改憲をとめよう! 被爆64周年8・6ヒロシマ大行動」の集会

反戦被爆者の会の下田禮子さんと

8・6双龍(サンヨン)自動車争議が終結
 5月22日に平沢(ピョンテク)工場を占拠し無期限ストに突入、整理解雇撤回・総雇用を要求し、資本・国家権力との壮絶な死闘を戦い抜いて76日。8月6日午後、労使合意に至り、ストライキ闘争の幕を閉じた。最後までハンサンギュン支部長のもと組合員の団結を守り抜き、大恐慌下の労働者はかく戦うという、労働者階級の真骨頂を示した闘いだった。この一点で偉大な勝利を歴史に刻んだ金属労組サンヨン自動車支部の工場占拠ストは、世界の労働者を鼓舞激励し、サンヨンに続く決起を生み出している。何よりこの日本で、11・1労働者集会1万人結集集としてサンヨン闘争を引き継ごう!

 前日5日、殺人的な総攻撃を受け、最後の砦である塗装2工場に退却したサンヨン車組合員らにハンサンギュン支部長は、「最後まで闘おう」と決死抗戦を訴えた。「塗装1工場で火災が発生し、引火物質による危険と安全事故のために退却を命令した」と経過を報告した支部長は、「すべては政府と使用側の強硬姿勢のために労組が戦わなければならなくなった。損賠仮差し押さえ、刑事処罰などすべての責任を支部長が負う」と決意を語り、「私を信じて最後まで工場を守ろう」と訴えた。

 さらに支部長は「すべての意見を握りつぶす政府に怒っている。今すぐにでも自決したい心情だ。しかし、生きて勝利しなければならない。同志らの安全の責任を負わなければならない。精神も整えて対話で解決を導く」と強い決意を語った。このような支部長の決意に組合員ら全員が「トウジェン(闘争)!」で応じた。組合員らは塗装2工場と組み立て3・4工場間にある勝利広場側の出入口に灯油など引火性物質を多量ばら撒き、塗装2工場に警察兵力が進入した場合に備え、背水の陣を敷いた。

 6日、正午すぎから労使交渉は再開された。サンヨン資本からパクヨンテ共同法定管理人、労組からはハンサンギュン支部長の1対1交渉となった。午後2時50分、合意が成立した。サンヨン自動車が6月8日付で整理解雇した976人中、現在座り込み中の組合員を対象に、自発的選択により無給休職、営業職転職、分社、希望退職などの方法で非常人材運用を実施することとなった。人材構造調整が避けられない場合、会社は当事者と十分な協議を経た上、無給休職と営業職転職48%,希望退職と分社52%の比率を基準とすることで合意した。

 6日夕、ハンサンギュン支部長と指導部が塗装2工場内で組合員らと報告大会を開催し、合意内容を報告、組合員の同意を確認した。午後7時30分、ハンサンギュン支部長は決意大会を終えて組合員らと抱き合いあいさつをした。その後、支部長は労使調印式に臨んだ。

 組合員らは今回の合意文に対し、整理解雇撤回がかちとれなかったことは悔しいが、最善を尽くして戦ったので後悔はないという雰囲気だ。ある組合員は「10年間働き、整理解雇と4年前に売却されたのが根源だが、イミョンバク政権になってからの1年半、反労働者的政策が我慢できない」と語った。

 報告大会でハンサンギュン支部長は「労働者間の傷が埋められないような戦争になった。使用側がこれを誘導した。労働者らは政権と資本の殺人鎮圧に対抗して、生存権を要求しながら戦った」と振り返り、「必ず整理解雇は撤回されなければならないという信念で戦ったが全面的に防ぐことができなかった。同志たちに申し訳ない」と語り、「労働組合22年の歴史上初めての事態だった。私はサンヨン自動車労組設立委員会準備委員長として労組とともに生きてきた。労働者の存立基盤である労組が崩れてはいけない絶体絶命の瞬間が持続している」と、新たなステージでの闘いの継続と組合員の団結を訴えた。

 イミョンバク政権と労働者は共存できない。イミョンバク政権打倒に立ち上がるサンヨン労働者とともに連帯し、すべての権力を労働者階級に取り戻そう!(J)

韓国金属労組双龍自動車支部ホームページ

速報 8/6 
77日間のサンヨン自動車労組の同志たちの英雄的な戦い

 必読 民主労総HP「労働と世界」
●必読 「悔しいが最善を尽くして闘った!」
娘と再会
英雄達
組合員を抱きしめる支部長 6日午後7時
6日午後、労組員たちが占拠していた塗装2工場から出て手を振っている。



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